恐怖の渦とその中心。
どれくらいの時間が経っただろう。
気づけば奈々は、ベッドで寝てしまっていた。
ーーあたたかい。
まるでサウナのような、ヒリヒリする温かさだ。
ーーッ!ヒリヒリ!?
慌てて起き上がると、目の前には信じられない光景が広がっていた。
これも夢なのだろうか。
さっきまで、寂しく無機質だった部屋が、みるみるうちに、真っ赤に燃え上がっていく。
逃げなくては。そう思っても、頭が真っ白になり、体が言うことを聞かない。
「…うーん。もう、ダーリンったら…私のプニプニ感は変わらないよ…すやぁ。」
ベッドに手をついた右手を見ると、隣で呑気に寝ているクラゲがいた。
ーーくらげさんを、焼きイカにするわけにはいかない…!
クラゲが居ることにより、我に返った奈々は、クラゲを起こそうと、必死に揺らす。
「くらげさんっ。お願い。起きて…」
「…んー。なあに、奈々。今、ダーリンと良いところだったのに…」
「それどころじゃないの…!」
クラゲは、揺らされてもぷるぷるとしていただけだったが、
奈々の言葉が頭にきたようで、ようやく目を覚ました。
「ーーはい!?
それどころじゃないとは、何よ!
………え?何これ。」
部屋の炎は、天井まで伸びようとしていた。
扉も炎に覆われ、もはや逃げ場もない。
「……どうしたら……。尋…。」
これは、もう助からない。
尋に、もう一度会いたかったな。
薄れゆく意識の中で、奈々の頭の中に、尋との思い出が、すごい速さで駆け抜けていく。
これが、走馬灯と言うものか。
案外、幸せなことしか思い出さないものなんだな。どの思い出も、ふたりで笑っている。
どんなに苦しい時でも、尋となら笑っていられた。そんな時間が愛しくて、奈々は大好きだった。
「奈々…!奈々……!」
クラゲの心配そうな声が、どんどん遠ざかっていく。
「『マントポラァー』ーッ!」
一瞬のことだった。
目の前の炎が、一瞬にして凍りつく。
熱さとは打って変わって、急激な寒さが、体を痛いくらいに冷やしていった。
その寒い霧の向こうに、鋭い青い目が見える。
その目は、すぐにナナリアを捕らえた。
「ーーレイっ」
「何してんだ…早くっ」
そう言った彼は、有無を言わさず、ナナリアの手を強く引っ張った。
駆けていく道中、何人もの見覚えのある人々が倒れ、苦しみ、息絶えていた。
ナナリアは、あまりの光景に、目を背けそうになったが、その人々の勇姿から目を背けてはいけない気がして、目に焼き付けようと、震える口元を、血が滲む程噛み締めた。
屋上へと続く階段も、まさに、地獄絵図そのものだった。
苦しむ人の中に、生存者を見つけては、ナナリアは声をかけ、助けようとする。
しかし、こんな状況下においても、その人々は、ナナリアを怖がり、助けさえ拒絶した。
その様子を見ていたレイが、人々に簡単な治癒魔法をかけてゆく。
何度も繰り返される拒絶に、ナナリアは決して助けの手を止めることはなかった。
お屋敷の屋上へと着いた頃には、さすがのレイも相当疲弊していた。
屋上では、屋敷の主である父ユリの声が、絶えることなく響き渡っていた。
「まだ力あるものは、こちらへ…!
力を使い果たしたものは、援護や救護に回ってくれ…!」
父の声から、状況はあまり良くないと察することが出来た。
「ーーお父さまッ!」
「…ーーナナリア!レイ!
無事だったのか……良かった…。」
険しい表情は、一瞬、穏やかさと安堵の表情へと変わる。
しかし、すぐに敵の攻撃が降りかかる。
屋上の縁から外を覗き込むと、無数の武装した人々が、こちらへ向かって見たこともない武器を使い、攻撃を放っているのが見えた。
「…あれは、一体。」
ナナリアが、呆然と立ち尽くす中、レイは必死にバリアの魔術を唱える。
「ナナリア…忘れたのか?
あれは、カガクだ…。」
「カガク…?」
「ああ。俺たちが魔術を操るように、やつらはカガクと呼ばれるものを操る。
そして、このふたつは決して相容れることはない。魔術は、いつの時代もカガクに恨まれ、俺たちもまた、彼らを憎む。
この戦いも、どちらかが滅びるまで、終わることはない。」
「ーーそんな…なんで。」
クラゲが、悲しそうにナナリアへ寄り添う。
クラゲは、全てを知っているのだ。
500年と続く、この不毛な戦いを、ずっと近くで見てきた。
目の前で、爆発が起こり、無惨に弾け飛ぶ人々。
お屋敷の外では、敵も魔法により、散り散りに消えていく。
ナナリアの耳元に、無数の悲鳴が聞こえてくる。
どれも、さっきまで生きていた命だ。
現実世界に生き、普通に何不自由もなく生活してきた奈々にとって、この状況は、とても理解し難いことだった。
「ーーやめて…やめてよ…。
ね、レイやめよ…。」
成す術もなく、泣き崩れるナナリア。
ーー私は、ここへ来てまでこんなに無力なんだ…。
何もできない自分を、ただ責めるだけの日々。
せっかく、尋と見つけた未来。
ふたりで変えていくと誓った。
諦めないと約束した。
ーー私は、変わりたい。
無力な自分を、変えたい。
そして、尋に教えてもらったんだ。
変わることを恐れない心を。勇気を。
今の私なら。私は、何でもできる。
ううん、何でもやれる。
何も、怖いことはない。
ーー私は、自分の大切な道を見つけたんだ。
もう、諦めない。
そう決意した頭の中に、ある文字が浮かぶ。
間違いない。これは術式だ。
敵の攻撃が、また辺りに降りかかってくる。
ナナリアは、とっさに頭に浮かぶ術式を唱えた。
「ーーすぅっ。『ーーアストロデーー』」
しかし、突如として、口を何者かに押さえつけられた。その力は、尋常ではない。
ナナリアが口元を塞がれ、もごもごしていると、鋭く冷たい言葉が、耳もとでこう囁いた。
「ーーふざけるな…。」
身動きの取れない中、その声の主が誰か分かると同時に、声の主は、ナナリアを勢い良く突き飛ばした。
顔を上げると、今までで1番冷たく、そして怒りに震えるレイの姿があった。
「…なんで?なんで!
私はただ…みんなを助けたかっただけ…」
「黙れ…」
言い訳さえさせまいとするレイの様子は、異常だった。
「おまえは…この世界を滅ぼす気か…」
冷たく、そしてどこか恐怖さえ覚えるその声に、ナナリアは言葉を失った。
(なー。)